【解明!】本屋で便意がやって来る件!完全本質解明!

馬のように排便しながら歩く?

人間は知的活動が前提で設計されているような、腸の構造があります。動物のような知的活動が殆ど必要でない生命は、腸が短いかあるいはすぐに出るようになっています。いや、知的かどうかというよりも、排泄物を腸管に留めておく必要の無い動物は、便意を感ずる前にというか、同時にそのままぽとぽと出すようになっています。人間が、便が運ばれて来たら、そのまま肛門からどんどん出していたら、仕事になりませんし、馬のように「ポトポト」便を落としながら、道を歩いていなければなりませんよね。

つまり、人間の腸が長いのは、知的活動という表現を先ほどしましたが、排便する時間を自分で調整できるようになるために、もっと露骨に言えば、出す事が許される時と場が用意されるまで、溜めておく事ができるようになっているという事なのです。

便をストックできる構造と弊害

ですから、動物のように、便ができたものから、リアルタイムで次々に排便!(笑)するというようにはなっていないといのですね。結果的に、私たちは、その分、理性的で計画的な知的生活を可能にしましたが、反面、犠牲になっているものがあります。それが便秘です。腸が長い分、自立神経が生理的に働いていないと便秘に陥りやすくなりますし、出すタイミングまで貯蔵する機能を、過度に行使し続けると腸麻痺になり、便が出にくくなるのです。

あるタイミングで排便を試みる腸!

ですから、腸は、腸麻痺に陥っている事を、ご主人様(本人自身)に知らせることが、麻痺という語彙でも解るように、なんとも難しいですから、なんとか、腸が動くタイミングを狙って、停滞しているものは出そう、出そうとするわけです。腸麻痺で無い人も基本、そうです。出せる時に出そうとですね。。。この腸の緊張が解けて、蠕動しやすいタイミングが、副交感神経が亢進する瞬間なのです!これがいわゆる、本屋のリラックス状態が、その精神状態に入らせますから、結果、腸が動いて便意を直腸が感ずるということに繋がっているわけです!これが全貌です。

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まとめて見ましょう

便意が起こる条件(本屋に限らない)

1、目に映るものが自分の未来の生活を良く変えてくれる可能性を感じている心理状態であること。
=何故、本屋が目立って表現されるのかと言えば、本屋は二つの目で見える情報の量が(ネットよりも遥かに幅広い)大きく、自分の可能性の開花や、生活の充実が数多に情報として待機しているかのうような、そういうワクワク感を抱かせる事のできる最も典型的な場所。

便意 本屋2

2、1の状態で、物品や展示物や情報が、自分の意志でどうにでも主体的に自由に選択できる状態である事。(他人の干渉が無い状態が重要!)=人が自分の選択に干渉してきたり、一緒に同行した友人の買い物につきあっているだけのような場合は、便意は起きません。あくまで、私一人の自由な選択の世界で可能性を感じる時なのですね。

結局、それが本であるかパソコンであるかは、その人次第です。本に限った現象でないことは、もう明らかなのですが、こうしてみてみると、腸も頑張ってるんだなと思いますよね。。。文化的生活、知的生活というのは、ストレスや緊張も不自然に多かったりします。それで、排便のタイミングを失った腸管は、一瞬の解放、ゆるみ(本屋のワクワク等を)利用して、排便を達成しようとしているわけですね。有り難い話です。

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私たちの生活には、もっともっと楽しく、リラックスしながら、ワクワクするような時間をいかに多く過ごすことができるかを、考えてゆかないといけないのでしょうね!
B級的なテーマですが、意外に真面目に長くなりました。。。(笑)

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