【初!】炭水化物断ち健康法!炭水化物悪玉論?の真相!
炭水化物はそれでも悪玉ではないか!?以前の記事でお話ししましたように、炭水化物を多食してそれが過度に習慣になってしまうと、体の中ではどのような状態になって、どのような影響をもたらすかを解説してきました。しかし、この記事の最後にお話しましたように、「炭水化物は悪玉」ではない!とも解説しました。
これらの解答は、炭水化物ダイエットや様々な病気の元になっていると思われる「糖害」を、炭水化物を制限しながら克服してゆこうという考えと合わせて考察してみると、非常に興味深い内容になるかと思います。なぜかといいますと、悪玉であり善玉であるという両面があるということに気づく中で、どのようになれば「悪玉」になるのか、どのような環境では「善玉」となっていられるのか?その基準や分水嶺が明確でなければならないということですし、今回はそれを整理しようという試みですね。
甘い物や炭水化物をいくらとっても「糖害」に接触しない人がいます。血液粘度が健康を害するほど上昇したり、酸欠や血行障害にならない人です。これらを見ると、炭水化物が悪玉だとは、これらの人たちは全く実感がないでしょう。ですが、年齢とともにそれを感じつつある人もいるでしょうし、若い時の炭水化物大食いが、祟ってある時に病名がついたりしますから、今、実感なくても将来、、ということはあるでしょうね。しかし、一生涯を通して、或は、相対的に、「糖」に強い人たちがいます。そういう極端な例をも含めて説明ができなければなりませんね。
糖害に強いというのは、どういうことなのかということです。その前に、炭水化物というものの性質を新鮮な観点で、整理してみたいと思います。
実はこれらはとても単純明快な問題でありまして、これは「薪」(まき)と「炎」の関係で説明がつきます。
火を燃やそそうとする時に、燃えるものが必要ですよね。そこで「薪」を投入して、火を大きくしながら調理をしたります。この時に、燃える「薪」を多くいれて「炎」を大きくしようとします。しかし、その「炎」が小さく、あまり燃えなかったらどうでしょうか?「薪」が残ってしまいます。これが「糖害」にそのままなってゆくと考えたらいいでしょう。
つまり燃えずに焦げただけで残ってしまった薪は不要なものとなるのであり、また不完全な燃え方をしていれば、そこから一酸化炭素がでてきます。この「炎」というのは、人体の燃焼のことです。タンパク質や脂肪は、炭水化物に比べて出る量が少ないのです。
実は体内でも似たような事が起こる時に、ダメージを受けるのですね。以前も掲載した図のように、炭水化物は、二酸化炭素を多く燃焼時に出すだけでなく、不完全燃焼したときには一酸化炭素を自然界でも出すように、人体においても有毒なものに変化してゆくことの理解が大切です。
つまり、糖害に陥りやすい人は、「炎」=食物の燃焼効率が小さく「悪い」ということがいえます。ですから、燃え滓がのこったり、不完全燃焼のガスを発生させたり(これがタール黒の色調を血液中に出してくる=炭素の要素)、燃焼時に燃える二酸化炭素の処理がきちんとなされない。。などの基準が蓄積して「病気」の諸原因をつくってゆく土壌になるというわけです。もちろん、三大栄養素の中でも、燃焼に酸素を最も多く消費するのが、「炭水化物」ですからね。
こうしてみた場合、逆をいえば、燃焼効率の高い、つまり「炎」の大きい人は、「不完全燃焼」が無く、有毒ガスも出ませんから「糖害」に陥りにくいという事や、酸素を普段から充分に取り込めていたり、二酸化炭素が体内に増えすぎない生活がある場合には、「甘いもの」を多く食べ続けても「病気にはならない」というわけです。
しかし、これは、一時的な評価であって、こうした実に文字通りの「甘い生活」を、続けるならば、年齢を重ねるごとに相対的に燃焼(炎)が落ちてきますから、そのままいっても保証はできないですけどね。
つまり燃焼効率の悪い人はそれだけ、「薪」を減らして「完全燃焼」に近づけないといけない!ということであります。
結局、「炭水化物」が悪いのではなく、「自分の燃焼効率=炎の大きさに合わない、薪を入れてしまうこと」が悪いのでありますね。どうしても、炭水化物をもっと食べたいというのであれば、それだけ自分の燃焼(食物を燃やす力)をつけなければなりませんね。
ただ人間は、自分の努力で人体の食物への燃焼率というものを上げることはできますが、その範囲は限られています。ほぼ遺伝によってですね。運動能力はある程度開発できますが、遺伝性にはかなわないのと同じように、ある程度は、可変しますが、絶対的な範囲は決められています。
ですから、糖害に陥らずに、自分の身体の必要以上に「炭水化物が欲しい!」から、「燃焼効率を上げたい!」というのは、多少は可能ですが、限度があります。つまり、こういった願望は、「自分の身体能力に合わない願望」として見てゆくとすれば、それは、「わがまま」的だといえなくもなく、また身体的に持って生まれた分限以上を望むと「病気」にもなるでしょう。
私たちは、仕事や夢や人格はかなりの範囲で実現が可能だと許されていると思いますが、肉体の世界は、「遺伝子」がもっている情報以上に逸脱することは、その本人の身体が無理をしてしまいます。しかもそれが「甘い物たべたさゆえ」であったりする場合には、その(欲)「精神」の方をどう転換するかを考えるべきだということになると思います。
本来の人間の人体機能やその本人の持っている基準や性質は、その本人の好みに合っているというのが基本です。つまり、甘い物に体が弱い人は、甘い物はあまり好きではないんですね。ほんとは。
例えば、まんじゅうやケーキよりも、スルメや貝柱がいいというように、自分の好みとして反映している状態があっています。そういう人は、甘い物食べると、本当に調子が悪くなるのですね。。。しかし、なんらかのきっかけで、「自分の体に合わない好み」がでてきてしまっている人は、ちょっと不健康になっちゃうというかですね。
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結局、食べ物が悪い!という前に、それを管理して食べる人間の側、またその人間の精神がより、原因の主体であることがわかると思いますし、この自然界も、「旬のものをたべなさい」というように、うまくその季節に合う作物ができてくれるように、より、「自然」を中心に「欲」を管理してゆく方が、幸せになれるのですね。というか、もっと言えば、
幸せになれる、健康になれる方向の「欲」が自分からでてきているかどうかを、反省するというのが本当ですね。それに合っている人は幸せになれる!こういうところを転換できた人も結構いますよ。甘いものが嫌になった!とか。。。ですね。
今回はちょっと難しい話になっちゃいましたね。