【三脈法応用編】自分の脈で人の危機を察知する/実例集

【三脈法応用編】自分の脈で人の危機を察知する・実例集

【三脈法応用編】自分の脈で人の危機を察知する/実例集

過去数度に渡って生命や心身の危機を事前に察知するための、三脈法や眼脈法について解説しましたが、基本を抑えた上で、読者の皆様には「三脈の法の応用上級編」を公開したいと思います。また過去記事をご覧になっていない方は以下を熟読された後、本文をお読みください。

過去記事
*三脈法1
*三脈法2
*眼脈法1

健康技という本健康法のサイトでご紹介する意味は、心と体は繋がっているのだということに留まらず、人間の感性(本能)として第六感的な能力を備えた存在だということをお伝えしたい面があるからです。という以上に、実際に、この方法で命を救われた友人を、私が数人知っているからです。。だからちょっとこれは外せないとですね。。
いくら健康な体を維持していても頭上から落ちてくる鉄筋に気づかなければ、それ以前に命そのものも無いですし。。。

今回は、上記の過去記事の基本の部分は割愛して、上級編の部分のみお伝えすることにします。

自分の三脈で人の命の危機も察知できる

三脈法の基本は、あくまでも自分の命の危機、自分の心身の危険に関して事前に察知する技だということになっています。これは基本なのですが、上級者になりますと、人の命の危機でさえも、なんと自分の三脈をみて予知できるということになっています。

「三脈法の前知力範囲は、自己ばかりで無く、信念さえ強ければ親族は勿論、友人知人にもその範囲が及ぶ」

とあります。なんと、自分の脈をみながら、家族や友人の危険までを察知できるのだとあります。この説明だけだと、自分の危機と人の危機のどちらを表しているのはわからなくなると思います。しかし、文章を良く読むと分かるのですが、「信念さえ強ければ」とあります。

この「信念さえ強ければ」というのはどういう意味かと申しますと、その人の事を案じ思われる時に見る三脈に、異常があればということなのです。

病身の妻の臨終を察知

実例としてあるのが、外出先で家に残した病妻を非常に心配し、「その時に」ふと三脈を試みると、脈が乱れていて一致しないので、大急ぎで帰宅してことによって、臨終の瞬間に間に合ったということがあったそうです。つまり、信念さえ強ければというのは、対象の人間を強く思える信念、安否を本気で心配する心があれば、その時、「相手を思いながら」自分の脈で対象の人の危機を受け取ることができるということなのです。

息子の死期を察知

駒込の病院に入院した21歳の青年は、腸の病気から危篤状態に陥りましたが、その父親は三脈法を知っていて、また家族や親子であってもその対象の人間に対する強い思いや情があれば、自分の三脈を見て相手の危機も看取できるとの知識もありました。息子を思いながら、自分の三脈に異常がなかったために、付き添っていた看護師に24時間以内は別条はないと思うと語ると、素人が何をいうのかと失笑されたといいます。

【三脈法応用編】自分の脈で人の危機を察知する 実例集2

翌日、病床にゆき再度父親は自分の三脈を測っているとかなりの乱れが見て取れたので、もうじき逝くのだと覚悟を決め、その通りその夜の午後9時に息子は死去。

看護師も非常に不思議がっていたといいます。(この場合、息子自身の三脈を見る方法もありますが、病身であるがゆえに弱々しく、また乱れており、三脈法としての目的では正確に把握できない可能性があったので)

祖母の死期を察知

例外的な話では、ある19歳の女性は、毎日三脈法を見ることを怠らない徹底した女性でしたが、ある日の夕方、脈が乱れたので外出を一切控え、自宅で祈って過ごしていたところ、数日後に祖母が死去したといいます。

そして、亡くなった後、脈が戻りました。本人と相手の情的な関係が深かったり、信頼関係が強かったり、感性が似ていたりすることで、自分のことのように感じて脈に出る場合もあるということですね。

この実例は、相手を思って見たのでなく、自分かと思ったら人だったという例です。この実例はちょっと我々にとってみれば扱い難いというか、多少混乱しすし、困りますね。。ただ実話なので掲載しておきます。

24時間以降の危機を示す場合も

研究者の記録においては、基本の24時間以内の危機でなく、一定していない例もあるという記述もあまります。

【三脈法応用編】自分の脈で人の危機を察知する実例集5

この24時間という原則から外れる場合の要素は大きくわけて2つあります。

1、直接個人の生命に関わるというよりも国家的危機、付近一帯の大勢の生命の危機を知らせるような場合
2、信念の程度

1の場合は個人の危機を超えた危機、つまり国家的有事、即ち戦争や敵の襲来、あるいは東北の津波のように一帯の全住民の生命の危機が起ころうとしている場合、24時間という枠を超えて、7日前にその兆候が現れたという実例があります。

【三脈法応用編】自分の脈で人の危機を察知する実例集6

(海外から国内にミサイルが飛んでくるといったような有事が生じる場合、事前に、必ずその落下点周辺に住む人々の多くに三脈の乱れが強く生じるわけです。)

ただ7日間前の危機を悟るというのは、極めて稀であって、かなり鋭敏な感覚や常日頃の信念によるところが大きいでしょうから、その殆どは基本の24時間という理解で良いと思います。

ただ人と場合によっては、突如として大きな事を教えられる時がありますので、あらゆる場面で三脈法や眼脈法で測ってゆかれることを勧めます。

2、信念の程度
これは曖昧な表現なのですが、この三脈法いおいては常に本人の感性というよりも信念、思いの強さが察知できる期間に影響を与えるそうです。

確実に脈の異常が出るケース

明確なのは、非常に近い時間で起こる危機、もうすぐ、今から1時間以内で起こるとか、そういう時間的直近の危機については、鈍感敏感関係なく(だと思います)殆どの人は脈がずれて乱れています。だから回避できるものは回避できるのです。脈は頻繁に取れば取るほどいいのでしょうね。

動物との比較

胸騒ぎがするという言葉がありますが脈の乱れを意味するのだと思います。

人間は生命の危機を頭と心で悟れないので体が教えるんですね。
【三脈法応用編】自分の脈で人の危機を察知する実例集3

動物は体主体、本能主体なので頭で考えません。ですから、体で感じた危機はそのまま躊躇なく行動に移しますから、山火事や地震などの大移動、沈没船のネズミもそうですが、そういう集団行動が生じるのでしょうね。

脈が異常でも危機がない場合とは?

三脈や眼脈が危機を示したにも関わらず何の危機も生じなかったという場合は、必ず生理的・心理的な原因によるもともとの脈の乱れと混同されています。

飲酒や激しい運動の後、人前で話す直前の緊張や追い詰められて狼狽している時など、脈が早く打たれたりする場合に、三脈の異常と間違いやすいということです。こういった際には落ち着かせてから測り直す必要があります。

脈の速さは問題ではありません。三脈の場合は脈の打つタイミングのズレだけが異常ですから、鼓動や脈が早まっているのは問題なしです。

こういった場合に備えてしておくべきことは、毎朝起床時に必ず三脈と眼脈を見るという習慣です。脈が乱れていない時に測る癖をつけておくことです。24時間以内の危機を察知する方法なのですから、わざわざ危機に接して同様や狼狽の中で脈を見るのでなく平静状態で見ておき一日を出発するということが最も賢明だということになります。

その他三脈法の一般例をご紹介します。

食中毒を事前に回避

集会の際に出された食事の席で、三脈集団食中毒を免れた実例を測ると乱れて打っていた。これは何かが起こると感じ早々と理由をつけてその場を去った。その家から出て、自分の家に帰って三脈を測り直したら正常に戻っていた。何が危機だったかその時はわからなかったが、その後、その集会の席で出された食事(数日取り置いたものだったことが判明)が元で集団食中毒を起こし重症患者が出たということがわかったといいます。

危険な乗船を回避

愛媛県の長浜港から午後4時頃に、明日の朝出航の船を予約。第一肱川丸に乗船する予定となったので、すぐさま両頸部の脈と手首の脈を抑えてみる。すると少し三脈の乱れを発見。以前より毎日診ているが乱れは一切無かったにもかかわらず、乗船が決まった瞬間に乱れが起こる。そこで第一肱川丸の乗船をキャンセルし、時間も止む無く変更し別便の天龍丸を予約し三脈を確認すると乱れはなし。そこで、翌日の午前9時に天龍丸で長浜港を出航し、多度津を経て高松港に無事到着した。そして、高松港にて、昨日乗船をキャンセルした肱川丸が火災事故で消失し死者が出たとの知らせを聞く。

隠れた敵を三脈で発見

古い話ですが、明治33年清国事変の際、北京通信員鈴木富五郎氏は、新聞通信員として連合国軍に付いて戦況を視察している時、軍隊にこの三脈法を紹介したといいます。

【三脈法応用編】自分の脈で人の危機を察知する実例集7

明治33年8月4日、連合国軍は天津から北京に進軍する途中、部隊が分かれて進撃しようとした時、その中のある一部隊が進路障害を進む方向において感じ、迷いが生じたので、この三脈法をその場で診たところ、どうしても脈が乱れて整わなかった。すぐさま偵察隊を出して、行く手の先を伺わせたところ、敵の伏兵の待ち伏せを発見。引き返し命の危機を脱したという実話があります。そのまま進撃していれば諸共全滅していたとのこと。

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トンネル崩壊事故を回避

昭和34年1月7日、東京浅草の高橋氏は、新潟へ出かける際に三脈を見ると乱れがあったので、出かけることを中止した。12時間を経過して、再び三脈を試みると正常に打っていた。翌日のニュースで北越鉄道のトンネルが崩落し死者が出たとの知らせを聞く。あの時間に出発したいたなら搭乗していた列車であった。

このように枚挙に遑がありませんが、明治前後から昭和までの記録が多いのには、やはり知っていて実行している人が多かったからでしょう。文明が進むに従って迷信化したのかもしれません。文化が変化しても、人間の人体や感性そのものは同じものです。変わっていませんからね。

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事故や天災や人の死期についての例が多いように見えますが、人間関係のトラブルや、喧嘩による死亡や窃盗などは、回避できたそしたら、起こっていたかどうかがわからないかですね。

地震や火事の被害や、トンネル崩壊からの回避はわかりやすいですが、自分が回避できたことによって危機自体が発生しないような、自分あってのトラブル関連の危機の場合は、回避できたという証明が難しいんですね。でも、天災の被害を回避できるのであれば、それは危機察知を証明していますから、事柄にかかわらず、同様に信用していいのではないでしょうか。

みなさん、悪いことはいいません。本当に覚えておいてください!これは。

では!

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